珍達70年の歴史~創業1953年11月~
創業と珍達そばのはじまり
当社は1953年(昭和28年)11月、埼玉県秩父市東町通り(東町20-11)にのれんを掲げ、創業者:浅賀達明は出店に伴い、店名を「珍達」と名付ました。
店名の由来
中国語で「貴重なもの、ごちそう」を表す意味の「珍」という文字と、創業者本人の「達明」の「達」の字を一文字ずつ採り、「珍達」と名付けました。現在では一般的な「ラーメン」は、当時「支那そば」や、「中華そば」と呼ばれていたことから、その「そば(=麺)」を採り入れ、店名を重ねて「珍達そば」として販売を開始しました。
当時の「珍達そば」
創業当時の「珍達そば」は、なると巻の千切りや、刻み海苔がそばの上にふり掛かっていて70円位でした。
(参考までに昭和29年当時の高卒公務員の初任給はおおよそ~6,000円程度)
店舗を御花畑駅近くの線路際に移転
1958年頃(昭和33年)秩父鉄道の御花畑駅近くの線路際(東町5-9付近)に店舗を移転しました(写真右奥方向が秩父駅方面、手前が御花畑駅)。
この頃は出前専門の従業員がおり、店主のモットーで、たとえ一つの注文でも出前をしていたそうです。
当時の珍達では、練炭コンロで練炭の火をおこし、お湯を沸かし、スープを作っていました。
しばらくしてからプロパンガスが普及してもなお、使い続けてきた練炭コンロを改良し、ガスコンロを練炭コンロの中にはめ込んだ「自家製コンロ」を使い、「珍達そば」を作っていました。練炭の火を使って営業していた頃に比べ、「プロパンガスの普及により仕事が大変楽になった」と晩年に創業者の達明が語っておりました。
創業当時(1950年後半~1960年前半)の様子
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1959年頃(昭和34年頃)
店舗前にて創業者浅賀達明 -
1959年前後(昭和34年前後)
当時着ていた浴衣 -
1959年頃(昭和34年頃)
小さい方が現在の二代目 -
1960年頃(昭和35年頃)
浅賀みや子と出前用自転車 -
1965年頃(昭和40年頃)
右奥に二つの練炭コンロが並んでいる
その右上に出前箱もある
ローラースケートで転んでいるのが現在の二代目
調理師免許を取得
達明は「より一層美味しいものを作ろう」と、一念発起。
1960年(昭和35年)調理師免許を取得し、味づくりにさらなる研鑽(けんさん)を重ね、1966年2月(昭和41年) 有限会社珍達を設立。
だんご坂へ建物移転
「関東甲信越で有名な珍達そば」
その後、1966年(昭和41年)団子坂横(東町23-4番地)に鉄筋コンクリート地上1階地下1階の建物を建てて移転しました。
洋食および中華料理の店として、専任のコックも雇い、リニューアルオープン。
それと時を同じくして、今までのお店のキャッチフレーズとして使用していた「秩父で有名な珍達そば」を「関東甲信越で有名な珍達そば」と、より広範囲の客層への訴求を掲げることにしました。
お店の賑わい
この事業拡大により、この新規店舗では多くの人々で賑わうようになり、店内にはジュークボックスまで設置されていました。販売拡充にも努め、顧客にはマッチやオリジナルの布巾なども配布。
昭和41年当時の「珍達そば」は100円。(参考までに当時の高卒の初任給はおおよそ17,500円程度)
だんご坂建物移転後(1960年代後半)の様子
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1967年頃(昭和42年頃)
地下1階の風景 -
1967年頃(昭和42年頃)
住み込みの従業員も数人いました -
1967年12月3日(昭和42年)
秩父夜祭当日 -
1967年12月3日(昭和42年)
秩父夜祭当日 -
1968年頃(昭和43年頃)
だんご坂建物内 創業者達明と妻みや子 -
1968年頃(昭和43年頃)
おにぎりやギョウザのお土産を包んでいた包装紙
他にもう1種類ありました(人生いろいろあらぁな など印刷されていた) -
1968年頃(昭和43年頃)
当時の店名入りマッチや布巾 -
1968年7月20日(昭和43年)
秩父川瀬祭
夏祭りの格好をした男の子が現在の二代目
奥が当時の店内、手前の右下が木製の生ビール樽(東町23-4番地) -
1968年12月(昭和43年頃)
だんご坂建物内でクリスマスパーティ -
1968年頃(昭和43年頃)
だんご坂建物外観(東町23-4番地) -
1969年頃(昭和44年頃)
珍達の看板に夜でも目立つように照明を入れた(東町23-4番地) -
1969年頃(昭和44年頃)
当時はまだ珍しかったレジスター(右下)
使用方法が難しくほとんど使われませんでした -
1970年頃(昭和45年頃)
料理中の妻みや子
数か月後に行われた開店祝いの様子
だんご坂への移転から数か月後に行われた開店祝いは秩父市熊木産業館(現在の秩父市歴史伝承館の建っている場所にあった)で盛大に行われました。
当時としては珍しく、開店祝いの花火が打ち上げられたり、ホールでは紙テープが投げられる中、ギターを持ったプロの歌手や踊り子さんを呼んでにぎやかに行われました。
花火の玉の中に無料券を入れてビラを撒き、それを拾った当時の秩父農工生(現在の秩父農工科学高校)が多数来店をしたという逸話が残っています。
建物を小さく分割して営業
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1970年頃(昭和45年)
景気後退により建物を分割し店舗を縮小。洋食と中華珍達(東町23-4番地) -
1970年頃(昭和45年)
貸店舗の喫茶店「園」様 -
1970年頃(昭和45年)
貸店舗の和洋スタンド「あそこ」様
1970年代後半のだんご坂建物内の風景
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1970年(昭和45年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
ホールとジュークボックス -
1976年(昭和51年)
だんご坂建物内座敷(東町23-4番地)
創業者達明と友人 -
1976年(昭和51年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
厨房 妻みや子 -
1977年(昭和52年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
ホールで新聞を読みくつろぐ妻みや子 -
1978年(昭和53年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
座敷でくつろぐ達明 -
1978年(昭和53年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
ホールでくつろぐ妻みや子 -
1979年(昭和54年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
出張ヘアーカットしてもらう妻みや子 -
1979年(昭和54年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
厨房で仕込中の達明 -
1980年(昭和55年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
座敷で昼食後の達明とみや子 -
1981年7月20日(昭和56年)
秩父川瀬祭(だんご坂建物前にて)
東町行事関係者の休憩所 の様子
※東町行事指定食堂 -
1981年7月20日(昭和56年)
秩父川瀬祭(だんご坂建物前にて)
神輿を担ぐ二代目 -
1983年2月(昭和58年)
だんご坂建物内(東町23-4番地)
達明と妻みや子が暖を取る様子 -
1984年(昭和59年)
だんご坂建物前(東町23-4番地)
達明と妻みや子
横瀬町への店舗移転とリニューアルオープン
1980年代に入り自家用車で来店してくださるお客様が増えて来たため、だんご坂の建物はそのままそこに残し、横瀬町に駐車場の広い場所を探し、1986年7月1日 (昭和61年) 店舗を移転しました。
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1986年7月1日(昭和61年)
横瀬町に店舗移転しリニューアルオープン(横瀬町横瀬5291) -
1986年7月1日(昭和61年)
リニューアルオープンした建物外観(横瀬町横瀬5291) -
1986年7月1日(昭和61年)
リニューアルオープンした店内 カウンター席 -
1986年7月1日(昭和61年)
リニューアルオープンした店内 テーブル席 -
1986年7月1日(昭和61年)
リニューアルオープンに伴い駐車場完備 -
1986年7月1日(昭和61年)
リニューアルオープンに伴い駐車場完備 -
2007年頃から二代目はカロリー数値を載せたメニューを提供。関係機関からの承諾を得て五大栄養素の数値を記載しました。
※当店の提供しているカロリー数値は現在は正規のものとしては有効ではありませんが、簡単な目安として今も残しています。
現在~さいごに
2008年(平成20年)現在のこの場所に新しく新築、移転しました。
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2008年6月(平成20年)
建物外観(横瀬町横瀬5271-2) -
2008年6月(平成20年)
建物内 -
2023年12月(令和5年)
建物外観(横瀬町横瀬5271-2) -
2023年12月(令和5年)
建物内 -
2023年12月(令和5年)
建物内 -
2023年12月(令和5年)
建物外観
今日、皆さまのお陰で「有限会社珍達」は創業70周年を迎えることが出来、本当に感謝しております。これからも皆様に慕われますよう、より一層の努力をしていきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。